忘れることは悪いこととはいえない。
忘れることによって、立ち直る、再生できることがある。

忘れてはならないのは、成長するため、
同じ過ちを繰り返さないための戒めであろう。
そして、その時の思いもまた忘れてほしくない願望。

風化もまた同じであろう。
薄れゆく記憶を止めることはできない。
大事なことは、出来事、物事、感情、何に対してか。

災害に関しては、ひとつひとつの事象や感情が薄れても
出来事そのものを忘れることはないだろう。

甚大災害において、直後は人の関心が高まり
時が経つにつれ、低下していく。
多くのボランティア、メディアが一時的に増え、減っていく。
前者は風化といえるだろうが後者はあくまでも数字上のこと。
これらを風化というならば、「風化を防ぐ」ということはどういうことか。

いつまでもその地域を注目し続け、足を運び続けるということではないはずが、
目に見える範囲の事柄、足を運ばなくなったことを風化としているのではないか。
防ぐことが望ましい風化とは、表面での行為や流れに囚われるのでなく、
そのときの経験と教訓であるならば、それは第三者だけではなく当事者にもいえることである。

事が起きた時、当然のように関心は高まり、薄れていく。
これは、非日常から日常に戻ろうとするごく自然な心理。
そういう意味では元に戻るだけなのだ。

日々起こる事実、溢れる情報、その現実に誰もが疲弊してしまいがち。
専門であり、付随する仕事に携わっているならまだしも、
スイッチの切り替えをしながら薄れゆく意識を維持するのは、そう容易ではない。

とはいえ、
風化を無くすことは難しいが、
問題提起を重ね、危機意識や備えの啓蒙、啓発、改善に
尽力している学者や有志がいることを、少なからず知っている。
そして、甚大災害で被る影響の多くが、収束はしても終息ではないことも。


合掌。