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「絆」

この響きのいいことばも
なんとなく押しつけがましく感じてしまうのはなぜだろうと思ったことがある

東日本大震災を機に、よく聞かれるようになった言葉
よく目にする文字のような気がする

「きずな(きづな)」は
人と人の繋がりや助け合いの大切さ
強い結びつきを表現する言葉、文字として使われている
ポジティブな意味合い

「ほだし」は
自由を妨げるもの、心や行動を縛るもの
つなぎとめる綱、足かせという意味をもつ
どちらかといえばネガティブだ

同じ「絆」でも、まるで相反するこの逆説の違和感、不思議を感じずにはいられなかった

日常の自分をとりまく家族、仲間には「きずな」を感ずることはあっても
見ず知らずの他人に感ずることはない
それは何故か?

誰かを心配し、誰かを思い、誰かに関わることは
意識のないところで、心と心が縛り合っていることなのかもしれない

つながり というものは、きっとそんなものなんだろう

そう思えば、「絆」のもつ矛盾は何となく分かる様な気がする

全く縁のない他人には感じない束縛感、感覚も
ある程度の干渉によって、相手の思いを感ずるときがある

傷つけるようなことは別として、そこに何等かの情があったとしても
口うるさいことを言われたときに相手に感じることは
思い遣りとは受け止められないときもあるが
自分が口にするときは、相手に対する思い遣りがあってのこと

ほんの少しのおせっかいや同じ痛み、喜びを共感する気持ちは
家族であればごく自然の愛情であり
仲間であれば友情であろう

共に喜び、悲しみ、笑い、泣く
寄り添うことで生まれ、深くなる
それが絆

災害によってそれまで関わりのなかった他人に
多くの人が同じような感情を抱いたのかもしれない

「絆」は、悲しい出来事があってからではなく、
日常で温めているからこそ、何かが起こったときにその優しさに触れ
心の支えとなるものだとすれば
「助け合い」「支え合い」という、つながりを築くこと、
意識することは大切なことなのだろう

なんとなく最近思うこと

「ほだし」なくして「きずな」なし
「きずな」なければ「ほだし」なし
実は何の不思議のないことなのかもしれない