ボランティアにはできること、できないことがある

そして、やってはいけないことがある


求めているから・・・

その声はどこに、誰に対して発信しているものなのか

見たもの、聞こえたものに、単純に反応することだけは避けたい


例えば発災直後に人命に関わることが起きる
そんな時、ボランティアに関わらず誰もが救助や救命措置を行うだろう
しかし、「ボランティア」として救助に関わるなら話は別としなければいけない
分かりやすくいうなら、『関わるべきではない』

なぜか

それは「ボランティア」が行うことでなく、専門の人たちが行うべきことであり
人の生き死にに関わる様なことは、もっと重大に考えるべきだ
少しばかりの知識や経験で、人命を救うなどという考え方は間違ってる
そこには責任がつきまとうことを忘れてはならない

自信は時として過信に繋がる
助けたいという気持ちと行動は別物と考えれば、安易に『救助』という分野に踏み込んではいけない



気持ち

当初は、被災者の立場に立って、求められることを当たり前のように行っていても
いつしか自分が『したいこと』に変わってしまうことがある

例えば被害を受けた場所のライフラインなどが復旧し、協働から個へ移りゆく
復興期のステージに入った時には公助(広域)から共助(地域)へ
外からのボランティアは、ここが引き際のような気がする
(個と個の繋がりにおいて、足を運ぶなら話は変わる)
ある程度の時間、ボランティアの回数を重ねると新たな人間関係が生まれ
親しみの間柄であればこその意識行動になる
しかし、それは人間関係であって、ボランティアでいうニーズに応えることとは違う
大概の、所謂「ボランティア」はそこで自制しなければ
本来の地域の助け合いの種を摘み取ることにもなりかねない
当事者の自活の妨げになることもあるかもしれない

行為する人は考えなければならない
今よりも、もっと先のこと
もっとも、前述のように個人の『付き合い』であれば別


自己満足にならないようにするには絶えず検証しなければならない
見極めることは難しいかもしれないが
誰のため、何のためのそれかを見失わないように
抱いているその思いと行為がその先に繋がっていくように

何をすればいいか分からなければ
自分に何ができるかを考えればいい

自分が『やりたい』ことだけを考えた時
受け身でもなく、相手の気持ち応えることとはズレてくる

『自分がやりたいこと、できること』が『求められていること』と一致したとき
ボランティアとして成立するのだと思う


こうして書いている自分もまた、できているかどうか悩む時がある
永遠のテーマなどというつもりはないが
振り返る度に、反省は続く